東京高等裁判所 昭和63年(行ケ)42号 判決
一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願発明の要旨)及び三(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の審決の取消事由の存否について判断する。
1 成立に争いない甲第二号証の一(願書添付の明細書)及び同号証の三の二(昭和五六年一一月六日付け手続補正書)によれば、本願発明は左記のような技術的課題(目的)、構成及び作用効果を有するものと認められる(別紙第一図面参照。なお、明細書中の「媒質」の語は、昭和五六年一一月六日付け手続補正書によつて、「媒体」と補正されている。)。
(一) 技術的課題(目的)
本願発明は、移動する磁気媒体に磁気的な変化を記録し、かつ、それから読み取る薄膜誘導形変換器に関する(明細書第二頁第六行ないし第八行)。
従来、記録時の効率を高めると共に、読取り時の変化の分解能を高めるために種々の技術が提案されているが(同第二頁第一七行ないし第一九行)、本願発明の目的は、読取り時の変化の分解能を最大にするような形のヨーク構造を有し、かつ、ヨーク構造の断面積を増加することによつて印加電流によるヨーク構造の飽和に対抗すると共に、記録時の効率を高めるような形にしたヨーク構造を持つ薄膜誘導形変換器を提供することにある(同第二頁第九行ないし第一六行)。
(二) 構成
本願発明は、前記課題を解決するために、その要旨とする構成を採用したものである(昭和五六年一一月六日付け手続補正書第四丁第一行ないし第五丁第六行)。
本願発明を実施した薄膜変換器のヨーク構造13は、別紙第一図面に示されているように磁極先端領域P及び後側領域Bから成り、パーマロイのような磁気材料の二層14、15によつて構成される(明細書第五頁第七行ないし第九行)。
磁極先端領域Pは、読取り時の変化の分解能を最大にするため、磁気媒体(図示されていない。)に対して、法線方向に比較的短い距離Dだけ延びている(同第七頁第一〇行ないし第一二行)。
Y(最適変化点)を越えた所から始まる後側領域Bにおいては、磁気層14、15の一定の厚さがかなり増加し、磁極先端領域Pにおいて一層薄く選ばれている磁気層14、15の厚さより、少なくとも六〇%厚くなるのが好ましい(同第八頁第四行ないし第八行、第七頁第一四行)。ゼロ・スロート点Xは、磁極先端領域Pの厚さが増加し始める点である。最適変化点Yは、磁気層14、15の厚さが増加し、飽和が起こる点である(同第九頁第五行ないし第九行)。
飽和が最適変化点Yで起こるから、磁極先端領域Pの距離Dはできるだけ短く押さえるのが望ましい。しかし、右距離Dは、磁気記録媒体の記録密度をdとした場合、少なくとも5/dに等しくなければならない。なぜなら、Dが少なくとも5/dであれば、隣のトラツクからの外来磁界が記録又は読取りに影響しない程度に弱くなるからである(同第一〇頁第一三行ないし第二〇行)。
(三) 作用効果
本願発明は、その要旨とする構成を採用することによつて、磁気媒体上の隣のトラツクからの類似信号の影響を最少限に抑え、読取り時の変化の分解能を最大にすることができる。また、後側領域Bにおけるヨーク構造13の断面積を増加することによつて、記録時(コイル10に電流が印加されたとき)のヨーク構造13の飽和に対抗すると共に、記録時の変換器の効率を高めることができる(同第四頁第五行ないし第一六行、第一一頁第七行ないし第一二頁第六行)。
2 一方、成立に争いない甲第三号証によれば、引用例は薄膜磁気ヘツドに関するものであつて、その第九九頁左欄第二七行ないし第三九行には、第三図が蒸着工程及び複数巻回薄膜感知装置の構造を示すものであり、ポールピースは磁性材料の層から成りその層間に絶縁材料の層が蒸着されること、及び、コイルは多巻回の導電性材料を矩形状かつ弦巻式に蒸着し各巻回間を絶縁層で分離することが記載されていると認められる(別紙第二図面参照)。
そして、本願発明と引用例記載のものの一致点及び相違点が審決認定のとおりであり、かつ、相違点<1>ないし<3>についての審決の判断が正当であることは、原告も争わないところである。
3 審決は、本願発明の磁極先端領域の長さ(相違点<4>)、及び磁極先端領域と磁極後側領域の形状寸法(相違点<5>)の限定は、当業者が適宜なし得る設計事項であると判断している。
しかしながら、前記の本願発明の技術的課題、構成及び作用効果に照らせば、本願発明における磁極先端領域の長さの限定は、磁極先端領域は短いほど磁気媒体から読み出す変化の分解能を大きくし得る反面、余り短くすると本来読み出すべきトラツクあるいはビツト以外の情報をも読み出す不都合を生ずるとの知見から、磁極先端領域の長さを少なくとも5/d(dは、磁気媒体の記録密度)に設定すれば前記不都合を最大限抑えることができるが、書込み時の変換効率を高めるためには5/dより余り長くすることはできないとの理由に基づいてなされたものであると考えられる。そうすると、本願発明は、磁極先端領域の長さについて「少なくとも5/d」と下限のみを限定しているが、その意味するところが、磁極先端領域の長さの最適範囲は「5/dを越え、それに近接した範囲」であるというにあることは、おのずから明らかというべきである。このことは、本願発明の実施例において、一mm当たり四〇〇個の記録密度(5/dは一二・五ミクロンになる。)の場合、磁極先端領域の長さは一八ミクロンを越えないのが好ましいとされていること(明細書第一一頁第一行ないし第三行)によつても裏付けられるところである。
また、同じく前記の本願発明の技術的課題、構成及び作用効果に照らせば、本願発明における磁極先端領域と磁極後側領域の形状寸法の限定は、磁気層の厚さが増加し始める点(最適変化点)Yにおいて磁気飽和を生じさせることを企図し、磁極後側領域の厚さを磁極先端領域の厚さの少なくとも六〇%増しにすれば、ヨーク構造の磁気飽和に対抗し、かつヨーク構造の断面積を増加して書込み時における変換効率を高めることができるとの理由に基づいてなされたものであると考えられる。そして、本願発明は、磁極後側領域の厚さについて「少なくとも(磁極先端領域の厚さの)六〇%増し」と下限のみを限定しているが、磁極後側領域の厚さを磁極先端領域の厚さの一六〇%を越える厚さに設定しても点Yにおいて磁気飽和が生ずることに変わりはなく、薄膜誘導形変換器の分野においては装置を小型化ないし軽量化することが当然の技術的課題であることを考えれば、前記「少なくとも(中略)六〇%増し」の意味するところが、六〇%増しが最小値であると共に、六〇%を越えた比較的狭い範囲の値が最適値であるというにあることは、おのずから明らかというべきである。
このように、本願明細書及び願書添付図面には、磁極先端領域の長さ及び磁極後側領域の厚さを限定した根拠が必ずしも明確に記載されていないが、薄膜誘導形変換器に要望されている周知の技術的課題を考慮して本願明細書及び願書添付図面をみるならば、右限定の根拠は当業者が十分理解できるところと考えられる。そして、本願発明は、磁極先端領域の長さ及び磁極後側領域の厚さを、その要旨とする数値に限定したことによつて、読出し時の変化の分解能を最大にし、かつ書込み時の変換効率を高め得るヨーク構造を有する薄膜誘導形変換器を得たのであるから、前記限定には格別の技術的意義があるといわなければならない。したがつて、本願発明の相違点<4>及び<5>に係る構成について、数値の限定の根拠が明らかでなく技術的意義も認められないから当業者が適宜なし得る設計事項であるとした審決の判断は、明らかに誤りといわざるを得ない。
4 以上の点について、被告の主張の当否を検討する。
(一) 相違点<4>について
被告は、別紙第一図面FIG./の角度φの値及びコイル層数を限定することなく磁極先端領域の長さを限定することには格別の意義はないと主張する。
しかしながら、本願発明は、磁極先端領域の長さを磁気飽和が最初に生ずる点(最適変化点Y)を起点として5/dに設定すれば、磁極の広がり角度φの値あるいはコイル層数にはほとんど依存せずに、読出し時の変化の分解能を最大にし書込み時の変換効率も高めるとの目的を達成し得ることを解明したのであるから、被告の右主張は当たらないといわざるを得ない。もつとも、磁極先端領域の長さを極めて厳格に考えるならば、磁極の広がり角度φの値あるいはコイル層数が何らかの関係を有することはあり得ることであるが、本願発明における磁極先端領域の長さの限定が極めて厳格な値を意味しているものでないことは、それが下限のみを限定していることからも明らかであつて、そのような数値限定の範囲内において考える限り、磁極の広がり角度φの値あるいはコイル層数との関係は無視して差支えないものと解するのが相当である。
(二) 相違点<5>について
被告は、磁極後側領域を厚くするほど効率よく磁極先端領域へ磁気を供給でき、また平面形状の磁気層が急に狭くなる箇所において磁気飽和が生ずることは自明の事項であるから、磁極後側領域の最低の厚さを磁極先端領域の厚さの六〇%増しとする限定に格別の困難はないと主張する。
確かに、一般の平面形状の磁気層においては幅が急に狭くなる箇所で最初の磁気飽和が生ずることは自明の事項といい得るが、本願発明が対象とする薄膜誘導形変換器の磁気層のように、磁気層が薄膜構成であつて断面積が極めて小さい場合には、その幅が急に狭くなる箇所より手前の箇所において既に磁気飽和を生じていることも十分に考えられるから、一般の平面形状の磁気層における自明事項が直ちに薄膜構成の磁気層にも適用し得ると考えることはできない。また、一般に、磁気層が磁極後側領域及び磁極先端領域とから成る変換器においては、磁極後側領域が厚いほど効率よく磁極先端領域へ磁気を供給できることは自明の事項といい得るが、本願発明は、磁極後側領域の厚さを磁極先端領域の厚さの「少なくとも六〇%増し」にすることによつて、ヨーク構造の磁気飽和に対抗しながら記録時における変換効率を高めることができることを実験によつて見いだしたものであるから、右数値の限定自体が自明の事項であり困難性がないというのも当たらない。なお、被告が周知例として援用する昭和五二年特許出願公開第三三五一二号公報に薄膜磁気ヘツドの磁極後側領域を磁極先端領域より厚くする技術が記載されていることは原告も認めるところであるが、成立に争いない乙第一号証によれば、周知例記載の発明が磁気層の厚さを部分的に変える目的は「後部突き合わせ部の飽和を避けるため」(第二頁右上欄第二行ないし第四行)であつて、本願発明が磁気層の厚さを部分的に変える前記目的とは明らかに異なつているから、本願発明のような技術的課題を持ちこれを解決するために磁気層の厚さを部分的に変えることが周知であつたとすることには理由がない。
5 以上のとおりであるから、審決は、本願発明の技術内容を誤認して相違点<4>及び<5>の判断を誤つた結果、本願発明は引用例記載のものに基づいて当業者が容易に発明をすることができたと誤つて判断したものであつて、違法であるから、取消しを免れない。
三 よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は正当として認容することとする。
〔編注1〕本願発明の要旨は左のとおりである。
磁気記録媒体のトラツクに対する磁気的記録及び再生を行う薄膜誘導形変換器であつて、
磁極先端領域及び磁極後側領域から成る、ヨーク構造を形成する、磁気材料で造られた二つの磁気層と、
前記磁極後側領域の後端近くの後側ギヤツプとなる部分を除いて、前記二つの磁気層の間に設けられていて、前記磁極先端領域において変換ギヤツプをもたらす非磁性材料の層と、
前記二つの磁気層の間を通る複数のターンを有し、全体的に平坦で渦巻状に形成された導体コイルと、
前記導体コイルを前記二つの磁気層から電気的に絶縁する絶縁層と
を有し、
前記磁極先端領域が、前記トラツクの幅を越えないほぼ一定の幅を有すると共に、前記磁気記録媒体における記録密度をdとするとき、少なくとも5/dで示される長さだけ、前記磁気記録媒体の法線方向において延びていること、
前記磁極後側領域が、前記磁極先端領域に続いて、前記ほぼ一定の幅から次第に広くなる幅を有すること、及び
前記二つの磁気層が、前記磁極先端領域の少なくとも先端部分においてほぼ一定の厚さを有し、かつ、前記磁極後側領域において少なくとも該一定の厚さの六〇%増しの厚さを有すること
を特徴とする、薄膜誘導形変換器(別紙第一図面参照)。
〔編注2〕本件における図面は左のとおりである。
別紙第一図面
<省略>
<省略>
(以下省略)